産經新聞 朝刊 連載  全10回          Sankei News Paper Series / 1 - 10

 

 

 

 

〈10〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈9〉                     平成24年(2012年) 10月31日 水曜日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈8〉                    平成24年(2012年) 8月8日 水曜日

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〈5〉                     平成23年(2011年) 12月7日 水曜日

 

 

 

 

 

 

 

〈4〉                       平成23年(2011年) 10月12日 水曜日

 

 

                            2011 09 福島県相馬市

 

 

 いまも、膨大に撮られ続ける「写真」という、その大半が行き場のない塵(ちり)のようなものたち。例えば個人や報道を含めて3月以降に撮られてきた被災地の写真があり、一方に「被災地でカメラを向けて写真作品なんて撮れない」と口にする写真家が撮る“そうでない場所”の写真も日々増殖する。しかしそのいずれも、やはりこの2011年にあっては同根のはずであって、その身がどこにあっても撮るということは土壇場、崖っぷちのはずだ。

 あれからすべて何もかもが変わったわけじゃない。3月以前と3月以後は分断などしていない。東京、福島も地続きだ。

 こうしているうちにも15分に1人がどこかで自死してゆく国に自分たちはしばらく生きている。だがそんな状況が突然あらわれるわけもなく、これまでの自分たちの振る舞いに呼応して始まり進んできたはずだ。

 写真が目指すものは何か。簡単に言葉にはならない。人目を引くためのゲームや論理の遊びなら、得意な人間に任せておけばいい。記録、現実の複写…、その通りだろう。ただ、現実の追認を超えられないという写真の本質に甘んじるなら、自分がやり続けていく意味はない。

 あらゆる表現(会話や行動も)は、個人の思惑とは関係なく、その時々の流れにおいてそれ自体が動いていく方向に、手を離せば向かっていく特質を持っている。写真もそうだ。その時点にしかあり得ないある兆候を孕(はら)みながら動きつつ、何か得体(えたい)の知れない、“写真”ではないものに変質していく。その実体を手にしたいがために、塵を集める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈3〉                              平成23年(2011年) 8月17日

 

 

写真家などというのは、おしなべて無断借景の常習犯で、かつ悪びれもせずもっともらしい能書きを張り付け、作品と呼ばれるものに仕立てあげ、己の世界観として内的外的に所有する。前時代から続く“写真作品"という概念の持つ質や重さから逃れようと、デジタル時代の意識を提示する者も同様だ。一見それはクールな遁走に見えても、フォーマット、流儀、流通を組み替えただけに他ならず、「作品」と呼ぶ以上、その本質に何ら変わりはない。

 

 カメラという機械=制度に依存する限り、そんな風にしか生まれ出てこない"写真"というもの。それが社会通念の中で"作品"と呼ばれるために暗黙の了解があるとすれば、「語るべきもの」ないしは「語られるべきもの」が備わっている、という点になるだろう。しかし、もしそれがなかったとしたら、作品として自律できないということなのか。
 
 被災地で撮り、選び、仕上げ、他者に提示している自分の写真がここにある。
 
 自分の写真は語るべき内実を持たない、語られたがりもしない。眼前にあるものの表面の像/光跡を採取していくという行為の連続があるだけだ。では、それは一体何に有用だというのか。考えても考えても、やはり無用だ。そもそも写真が有用なもので、意味が他者に共有されねばならない理由がわからないので、無用であることの是非も自分にはわからない。
 
 そんな無用である自分の写真が、そして写真以前の意味や関係性、物語が付着していない風景の欠片が、現にこうやって転がり存在しているという様に、少なくとも自分の精神は救われているんじゃないだろうか。これは諦念でも虚無でもなく、解放なのだと思う。それが明瞭になってきたのは“今"だからか、いや、無関係なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈2〉                            平成23年(2011年) 6月22日水曜日
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈1〉                      平成23年(2011年) 5月 水曜日

 

 

 

 

 

 

福島県相馬市で、視界に広がる津波の爪跡、そこに点々と残る人家の跡、そういうものをある時間見続けていると、徐々に感覚は麻痺し捉えきれなくなっていくのを感じました。現場に入るまでは、一体何をどう撮るべきなのか、といろいろ考えましたが、結局はこれまでの自分のやり方でしか撮れないんですね。狭小な自分のスキルしか頼るものがなくて、そのすべてが試されている感じがする。なぜいまだに写真なんてものを撮ってるんだろうということまで含めて、問いを突きつけられている。

 写真を撮るのは誰にでもできる。僕が写すものも、この場においては唯一無二のようにさえ感じるけれど、世界中で写されている写真のなかの、とるに足りない1枚にすぎない。写真に写されたものは二次的、三次的な現実でしかなく、現場に横たわっている時空、あるいはそこに身をさらした者だけが感じる手つかずの局面とは、決定的に違っている。ただ、その疑わしい像のずっと奥のほうに、欠片かもしれないけれど、本当のことを宿してもいるのが写真なのだと思っています。

 

 この10年ぐらい、実質何かが終わってしまったという感じがしていたんですね。「対前年比」なんて言葉が響かせている、どこまでも続けなければならない拡大、繁栄という強制力に対してうんざりしていた。とは言え、そういう社会サイクルから逃れられない憂鬱さを強く感じていた。そういうことを意識していた人は少なくないと思います。ただ、生きていくためにとりあえずは…とバランスを取りつつ。それが、震災でいきなり大きな何かと直面させられてしまった。現実的に調子が狂っていく。でも自分は、調子なんて変わればいいと思っている。常に身を投じること、それしかできない。どう変わるかは、まだわからないんですが。(談)

 

 

 

 

 

 

福島、相馬。家の跡、人の跡、波の跡、冷えた雨で気は落とされるも、見るということを短時間の内に重ねれば、頭などすぐに茫洋と麻痺し始める。写真などいくらでも奪取できる。なぜか。人間という生き物の特性か、個人的な欠落か、社会訓練の賜物か。そもそも写真を撮ることなど、誰にとっても簡単なことだ。日本中、世界中で吐き気がするほど押されているシャッターの内の取るに足らない塵のそのまた一片だ。それがこの場においては一見岐立したようにさえ見える。本当のわけはない。「本当のわけ」がないと知りながら、僕たちは写真を撮っている。現にそこに横たわり“ある”時間と空間、ないしはそこに身を晒した者だけが感じ得る生の局面の手つかずを現実というのなら、写された(移された/映された)現実は二次、三次の現実である。ついには、死んでもなお本当のことはわからない。ただ、その虚飾らしき内実のそのまた内奥に、欠片だが本当のことを匿い、露にし、宿しているのが写真なのか。だから2011年の春、未だに“写真”を撮っている。

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